とらねこのつぶやき

 「春告鳥」ってのがいる。くすんだ緑色と白の地味な鳥だ。
 年中祇沙にいるらしいが、なんでも臆病なんだそうで、俺はあまり姿を見たことがなかった。同じくらいの大きさの鳥よりも細身で食べがいがないから、狩りで捕まえたこともない気がする。
 だが、姿を見たことはなくても、声を聞いたことがない猫は、少なくとも藍閃にはいないと思う。春告鳥って名前の通り、春が近くなると特徴的な声で鳴くからだ。
 「ホーホケキョ」が近いかな。言葉にするとどうにも間抜けだが。


 それがどうしたって、いつだったか、春の祭りに出るために俺の宿に楽団が泊まったことがあった。
 楽団といってもうちに泊まるくらいだから、五、六匹の小規模なもんだ。おまけに出て来た村ではまともに流通してなかったようで、ほとんど金を持ち合わせてなかった。祭りが終わったらその上がりで宿代を払う、それから食事の時間に演奏をするからと頼み込まれて泊めることにした。これが演奏も歌もなかなか上手くて、他の客にも評判が良かったし、結果的には宿代もきっちり入って万々歳だ。
 それだけならただの印象的な出来事で終わるんだが、この楽団が来たことで身の周りにいくつか変化があった。


 俺にはけっこうな歳の離れた相方がいる。とある冬の祭りの頃に俺の前に現れた雄猫で、元はただの宿泊客だった。詳しく話すととんでもなく長くなるから省くが、まあ色々あって子供相手だってのに俺が年甲斐もなく惚れちまって、口説き落として──いや、未だに落とせた気はしないんだが──今に至る。
 こいつがどこにでもいる普通の猫のようでいて、実は賛牙の力を持っている。
 実際に歌うわけじゃなく体からうたを発する性質の奴だが、歌うたいだった父親譲りなのか、歌うことや歌を聴くこと自体も嫌いじゃないらしい。最初は金が入るあてもないのにと楽団を泊めることにした俺に文句を言っていたくせに、彼らが初めて演奏した夜、その場にいた誰よりも聞き惚れていた。完全に仕事を忘れちまってて、俺がからかう口実にしたくらいだ。
 よほど気に入ったんだろう、それから祭りが終わるまで俺はほったらかしで、暇さえあれば相方は楽団の猫たち、中でもその歌い手とよく話をしていた。相方の友人も時には混じってはいたが、ほとんど二匹きりでだ。
 歌い手は相方より五、六ほど上に見える声のいい雄で、別に何があるってわけでもないことは十分わかってるとはいえ、仕事が終わってから部屋にまで行かれちゃ当然面白くはない。あいつが俺のことをあんなきらきらと憧れを映してるような目で見たことなんてなかったしな。
 まあ、猛烈に恥ずかしがってる目とか、色っぽく睨んでくる目とか、色々と──俺しか見たことのない目もあるんだろうから、別にいいか。
 それは置いといて、相方は歌い手から歌も教わっていたらしい。祭りの頃から時々鼻歌を歌うようになった。楽しそうだし、不思議と心地のいい音で、さすがにこれはからかう気がしなかった。というより、からかう余裕がなかった。相方の鼻歌が聞こえると仕事中なのに手が止まっちまって、気づいたら睨まれていることが何度かあった。
 楽団が藍閃を離れる前の夜には、楽団と一緒に歌ったりもした。その場で歌い手から突然誘われて最初は戸惑っていたが、歌ううちに慣れてきたのかそれとも開き直ったのか、何曲かを歌い上げた。最後にはその場にいた客も含めての大合唱になるくらいの、忘れられない夜になった。
 今まで普通の歌を歌う相方を見たことがなかったから、正直驚いた。
 それなりに揉め事は起こっても、藍閃みたいな大きな街中の、少なくとも表通りでは賛牙の力が必要になることなんてないもんだから、リークスとの決戦以来、俺が闘牙として相方の紡ぐうたを体に感じたことはなかった。相方の歌は飛びぬけて上手いということもないと思うし賛牙のうたのように力が湧くわけじゃないが、心の中にそっと語りかけてこられるような、沁み入るような歌声は鼻歌とは桁違いで、以前身の内に感じたあのうたに少し似ている気がした。
 ひなびた村出の初心な猫なだけに、普段はつい子供扱いしちまって可愛いって認識が強いんだが、相方のこういうやわらかな部分に触れると、言いようもなく綺麗だと感じる。
 頑固で生意気で可愛くて──綺麗な、愛しい塊。
 とんでもないものを手に入れちまったって狼狽と、俺のものだという満足感と、とてつもない幸福感を覚える。
 俺はどうやら、歌を聴きながらよほどやに下がっていたらしい。部屋に引き上げたあと、相方に文句を言われた。
 しょうがないだろう、ただでさえ惚れてるんだから。


 闘牙に力を与えることこそなくても、やはり相方の歌には何かしら聴く者を惹きつける魅力があるようだ。
 聴き惚れていたのは俺だけじゃなく相方の友人もだし、時々宿に寄っていっては相方になつく黒猫、ゲンさん──ああ、それからあいつだ、俺の古馴染みの猫。そうそう、あの場にいたんだよ。隅っこで酒を傾けててな。仏頂面かすましてるか皮肉っぽく笑ってるかくらいしか表情がないんじゃないかってあいつが、相方の歌を耳にした時には──どうにも表現しづらいな、とにかく間抜け面をしていた。
 相方を賛牙として見出したのは奴だし、俺と一緒に相方のうたを受け取ったことがあるから、きっと俺と同じような気持ちになったんだろう。滅多にいない力の持ち主を俺みたいなくたびれた猫にかっさらわれたことに改めてはらわたが煮えくり返る思いをしたかもしれんが、これもまた仕方のない話だ。星のめぐりってやつ。
 文句を言ってくるようなことがあったら、話くらいは聞いてやろうと思う。


 特に奇妙だったのは、一緒に買出しに出たときに相方が鼻歌を歌っていると、それを聞きつけたらしい子猫がどこからともなく群がってきたことだ。藍閃では領主が雌と子猫を保護しているとはいえ、その区域は宿や表通りの露店とは離れたところにあるし、そこから出てくることはさほど多くはないから、本当に奇妙な話だ。
 そんなことがあってさすがに気持ち悪くなったのか、相方は歌を口ずさむのをやめてしまった。せいぜい機嫌のいいとき、他の猫の耳につかない程度に鼻歌を歌っているくらいだ。少し残念な気もするが、きっと鼻歌を一番耳にしている猫は俺だから、それでもいいかと思う。
 猫はってのは言葉通りの話で、どちらがより聞いてるのかは知りようがないんだが、もしかしたら俺以上に相方の鼻歌を聞いているのかもしれない奴がいる。鳥だ。
 庭先で洗濯なんかをしてる間や屋根の上にいるときにでも歌ってるんだろう、楽団が来る前と比べて、確実に宿周辺の木に止まっている鳥の数が違っている。さすがに自分の捕食者である猫が相手なだけに群がってはこないようだから、相方が気づいているのかは知らない。とりあえず、鳥が減ることはない。
 おびただしいというほどの数じゃないんで放っておいてるが、客の中にも気づいた猫がいたらしく、前に来た時より朝聞こえてくる鳥の声が増えた気がすると言われた。
 特に春が近づくと、春告鳥がたくさん止まって鳴くようになった。
 鳴き声を楽しめるし姿を見られることが珍しいってもっぱらの評判で、おかげさまで春の祭りが終わるまでは毎日部屋が埋まりっぱなしの忙しさだ。


 祭りが近づくと、寝起きしている部屋の窓辺で相方が小声で歌っていることがある。
 あれから何度か春が来たが、また来ると言い残したまま、例の楽団がやって来ることはない。
 もしかしたら他の宿に逗留しているのかもしれないが、祭りの間に見かけたことはないし、それらしき猫たちを見たという話も聞かなかった。ずいぶん遠くの村から来ていたようだったし、他に何か来られない事情があるのかもしれない。
 相方は何も言わないものの、きっと気にして、心配して──寂しがってるんじゃないかと思う。
 あいつら来ないなと話を振ってみたら、そっと笑ってこう答えた。
 ──また歌を聞けたらとは思うけど、あの猫たちがどこかの空の下で歌っているなら、それでいい。
 手紙を出してみろと言おうとしたが、一度捨てられた書きかけのそれを見てから、やめた。
 『まつりのときはありがとう。歌を教えてくれてほんとうにうれしかった。あれからずいぶんたつけど、ぶじ村にたどりつけたかな。もしまたらんせんに来ることがあったら……』
 『虚ろ』がなくなって魔物は減ったものの、森の脅威が少なくなった分、野盗が跋扈するようになったと賞金稼ぎの古馴染みが言っていた。無事でいると信じているだろうが、返事が来なかったら、もし来てもよくない知らせだったらと思ったのかもしれない。
 気が強くて滅多に泣くこともない猫だが、リークスの記憶を抱え込んでから、どこか脆い部分が増えたように思う。目を離していると、遠い目をして何かを考えている。ただでさえ小型種の体が、より小さく見えることがある。
 惹かれたのは強さにだが、こんな姿を見ると、心まで包んでやりたい愛しさにかられる。
 普段は俺が触れるのを鬱陶しがるそぶりを見せる相方が、肩を抱いて頬に口づけてもおとなしく寄りかかってくるのは、うれしいようで寂しい。
 どうにかして元気を出させて笑顔が見たいと思うのに、情けないことに、こういう時に俺がしてやれることなんて、せいぜいこうして抱きしめてやるかうまい飯を食わせてやるくらいだ。どうしようもなくちっぽけで、一緒に切なくなってくる。いい大人のくせにな。ごまかし続けてきた今までの人生が悔やまれるね。こんなていたらくじゃ、こいつがおとなしく口説かれてくれるわけがない。
 そんな葛藤をしてるとも知らずにありがとうなんて言われて肩に額を摺り寄せられるからよけいに困る。もっと深いところまで触れたくなっちまうから、困る。
 もうそんな歳じゃないはずなんだけどな。時々、こいつといるとたがが外れる。優しくしたい、めちゃくちゃにしたいって矛盾した衝動にかられる。
 最近忙しかったし、まともに休日なんてとれない稼業だ。次の日の仕事がしんどいって嫌がるもんだから、俺はしばらくの間相方に指一本触れることができなかった。唇ひとつでもなしくずしになると思ってるらしく、なかなか許されない。ひとつの寝床で眠ることだけはなんとか粘って譲歩させてるが、まったく気の乗らない時にそれ以上を望もうものなら容赦なく反発される。この間は腹に三発蹴りを食らった。まあ、何かしら隙があればそこを攻めて押し倒すのは事実だし、相方には屈辱だろうが本気で嫌がってるときなんてほとんどないから、警戒するのも無理はない。
 それでだ、目の前に隙だらけの相方がいる今、俺は良識ある大人としての態度を貫くべきなのか、雄の本能に従って小狡い大人を決め込むか、非常に悩む。
 前者ならそのまま雰囲気だけはよく相方を抱きしめたまま内心悶々と眠りについて、次の日には何もなかったかのように仕事をする。若干相方は優しいかもしれない。後者ならこのまま寝床に連れて行ってあの手この手でこの体を感じさせてめろめろにして、寂しい気持ちなんて吹っ飛ぶくらいに俺でいっぱいにする。その場はとんでもなく乱れてくれてそれはもう燃えるだろうが、問題は次の日だ。
 たぶん、まともに口をきいてもらえないだろう。下手をしたら怒り狂っているかもしれない。
 別に変なことをさせてるつもりはないんだが、寝た次の日には怒ってることが多いんだ、なぜか。
 最初はただの照れ隠しだろうと思ったが、かなり本気で怒ってもいるらしい。難しい。面倒だな。そういうところもたまらなく可愛いとも思うんだが。
 ああ、悩むね。どうしたもんか。
 とりあえず、髪を撫でて耳を食んで、反応がよければ口づけてみようか。
 口づけて大丈夫そうだったら──その先は、なるようになれだ。


 怒った顔が一番可愛いって言ったら、きっとますます怒るんだろうな。
 言わないけどさ。